シンガポール競馬の紹介

・豊かなシンガポール競馬の歴史

(160年の歴史を誇るシンガポールターフクラブ)

 

シンガポールターフクラブの歴史は、1842年(江戸時代天保期)に遡り、競馬を愛好するグループによって、その前身であるシンガポール・スポーツ・クラブを設立しました。

初のレースであるシンガポールカップは、その翌年の223日にスタンフォード・ラッフルズ卿のシンガポール建国24周年を祝って、ファラー・パークの湿地帯にシンガポール最初の競馬場(現フェアパークスポーツ総合公園の敷地内)を造り行なわれました。そのレースの賞金は、当時としては破格の$150でした。設立から25年間主なメンバーは、ヨーロッパ人コミュニティーとマレー王族に限定されていましたが、富裕な中国人商人の台頭とともにメンバー数も増加しました。

 世紀も変わり、レース人口は、すべての国民に広がり急激に成長しました。しかし、1913年(大正2年)には賭博条例が成立し、不法な馬券発売の取り締まりも行われました。また、第一次世界大戦により競馬は一時下火となりましたが、戦後さらに人気が高まりました。その間競馬場の利用も、ポロ競技から戦闘機の基地として使用されるようになりました。このように競馬場の利用も社会的背景によりさまざまな形に変化しました。

 1924年(大正13年)シンガポール・スポーツ・クラブは、その名前をシンガポールターフクラブと変ええられました。クラブは、1933年(昭和8年)競馬場をブキティマに移し、世界で最も美しい競馬場と称されました。

第二次世界大戦中競馬場は、日本軍により接収されましたが、連合軍のシンガポール解放の2年後にブキティマ競馬場は再開しました。

 競馬人気は年々高まり、1960年(昭和35年)には、一般人も競馬場に入ることが許可され、新しい競馬の時代がやって来ました。政府は、1988年(昭和63年)競馬収益を管理するために委員会を設置し、またシンガポールターフクラブは、競馬を運営するための委員会組織を新たに設立しました。以来シンガポールの競馬産業は、飛躍的に前進し、賞金額は実質的に増加し、特別競走が新設され、競馬投票売上収益は急増しています。他方、競馬産業とシンガポール経済の急激な成長は、新たな問題の発生が懸念されはじめました。それは、ブキティマ競馬場で、交通渋滞や騒音問題などが生じてきたからです。その結果1995年(平成7年)、政府は、クランジに競馬場を移転させる計画をシンガポールターフクラブに指示しました。その計画は、世界で最も美しく近代的な競馬場を建設することを目標に掲げられ、シンガポール競馬に新たな歴史の1ページを開くことになりました。そしてシンガポール競馬場・クランジは、2000年(平成12年)34日に公式オープンすることとなりました。

 

 

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